31才メンヘラ男が考える「他人に期待しないこと」

  • 彼女の過去が気になる人
  • 彼女のちょっとした行動が気になってしまう人

に読んでほしい。

人はなぜ、好きな人なのに、わざわざケンカしてしまうのか、その自分なりの考えを自分の行動が振り返って見ようと思う。

今までの経緯

今までさんざん、彼女にメンヘラ行為をしてしまっている。

その度に怒られて、振られそうになり、もう「これで最後」と約束する。

そう言いながら、また繰り返してしまうっていうのをもう2回してしまっている状況である。もう流石に次は振られてしまうだろう。猶予はない。

その今までメンヘラ行為というのは、

  • 元カレのことを聞きまくって、自分と比較する。
    例:ゴルフを初めた理由は元カレの影響でないのかとしつこく聞く。
     :元カレより自分のほうが筋肉があるのか聞く。
  • 異性との交友を完全に断絶するようにしつこくいう。それだけでなく、同姓の友達と遊ぶことも文句を言いまくる。
    例:BBQに行ってくるという言われると、「誰と?ほんとに男はいないの?」としつこく聞く
  • LINEの会話が冷たい、電話してもあんまり話してくれなかったと言って拗ねる。ラインの絵文字を使ってほしいと求める。

などである。

今、こうやってリストアップするとああ、すごい面倒くさい男だなと思う。でもその時は本当に頭の中が埋まってしまって本当に悩んでいた。

とくにLINEの既読がつかない、既読がついたのに返信がこないという状況では、仕事もプライベートもなにも手がつかず、本当に5分に一回はLINEを確認する生活を1週間くらい送っていた。お風呂に入っても、気になるので脱衣所に置いておいて、何度もお風呂から出て、スマホを確認していた。

そんな生活に精神的疲労感がすごく、なんでここまでラインにとらわれないといけないのか、執着がすごいな、なんとかできないのかなと考えた。

このぎりぎりの状況で出会ったのが、下記のYoutubeである。

「どうでもいい」と思うと心が軽くなる|仏教の智慧

https://www.youtube.com/embed/5gtAzFrutfk?si=a3yYs_FWLF0W6ajb

そこから、じゃあブッダの考えを勉強しようとして読んだ下記本である。

ブッダが教える 執着の捨て方 (だいわ文庫 B 176-4) 文庫 – 2017/10/12
アルボムッレ・スマナサーラ(著)

Amazon.co.jp

この本の要約は別でしようと思う。

執着の捨て方を読んで

泣きそうなくらい自分の胸に深く刺さった本だった。

この本の中でとくに影響を受けたのが、

「自分の考え」という執着を捨てろという話だ。

自分のメンヘラ行為は、すべて「彼女に期待していること」が根本原因であることに気づいた。

では「他人に期待する」というのはどういうことなのか。

それはこの2つの行動に分解できる。

①まず、自分の中の物差しがある。
(これは今までの人生の中で、人それぞれにできあがっているもの)

②その物差しを他人に当てはめる

③その評価基準を他人に押し付けるということである。

さきほどの例にあげたメンヘラ行為であれば

元カレのことを聞きまくって、自分と比較する。
例:ゴルフを初めた理由は元カレの影響でないのかとしつこく聞く。
 :元カレより自分のほうが筋肉があるのか聞く。

①「彼女は自分だけの影響を受けてほしい。元カレの影響で始めた趣味を一緒に楽しむなんてできない」というモノサシができてしまっている。

②それを彼女におしつけてしまう

③押し付けるだけなら、胸うちで思うことがあってもケンカにはならない、それを言葉にして彼女に伝えてしまう。

この3つの行動によって、いわゆるメンヘラ行為が生まれてしまうと分かった。

自分のものさし

元カレと比較して、自分が一番であるべき、だから結婚する相手になりうる

交際すれば、異性関係は断絶すべき、仕事の付き合い以外の、交友関係なんて切るべきだ

交際中のLINEは丁寧かつかなり即レスすべき

という3つのものさしであった。

人は誰しも生きてきて経験した中で、自分の物差しを持っている。自分の中で、「付き合ったら、異性との交友はすべて絶つべき」などの~すべき、~はよいが、~以上はだめという基準がある。それは自分の中では、絶対的に正しいものだと思い、他人にも押し付けてしまう。

しかし、彼女も他人であり、己の中にものさしがある。これはくらいは普通だろうというものがある。そうすすると衝突しか生まれない。

いや自分は他人の意見を聞いて、他人の意見も尊重できると思っていた。

しかし友達や職場の先輩、後輩の考えは尊重できても、彼女は最も近い存在だから、家族には自分の意見を理解してほしいからと思ってしまう。

自分の意見を聞いてもらうべきだという考えがあったのかもしれない。

そして話し合いできる関係と思っていたが、ただ押し付けあう関係だったかもしれない。

母親や、元彼女、今の彼女を自分の物差しで言ってしまい、沢山傷つけてきたのだろうと思った。

女性はとりあえずは聞いてくれるのであろう。そこに甘えていたと思う。

ただどうしても自分の意見は正しいと思っているからこそ、客観的事実を都合よくねじ曲げてしまうこともあるだろう。

路上喫煙から考える自分のモノサシ

ここで路上喫煙を例にだして考えてみる。

最近は、歩いていて、路上喫煙をしている人を見るとすごくイライラする。

それは、「路上喫煙はすべきでない」という自分のモノサシがあるからである。

当然こんな理論武装ができる。

大前提、法律違反、条例違反である! 法律を守っていないのはおかしい!自分のものさしというより、世の中のルールだ!

でもこんなカウンターができる。

本当に法律違反だからだめで言い切れるのか。あなたは歩道で赤信号を無視したことはないのか?

もちろんこれは「法律違反を肯定する」とかいう話ではない。

ただ人生で、今まで一度も赤信号を無視をせずに、「道路交通法を違反していない」と言い切れる人はいないだろう。法律は守るべきというものさしを持っておきながらも、

「車通りの少ない歩道での赤信号無視は問題ない」

「でも路上喫煙はだめ」

というモノサシを持ってしまっている。

受動喫煙だ、健康リスクがある。火が体に触れて火傷のリスクもある。ニオイが臭い

これもこんなカウンターが考えられる。

副流煙はちょっと吸っただけでどこまで影響があるのか。もっと健康に悪い生活習慣を送っていないのか

火が身体に触れるような距離になるのか。

都会なんてどこも臭いところはある。

繰り返すが、これはけっして路上喫煙を肯定しているわけではない。そもそもタバコを吸っていない。

路上喫煙を見て、今イライラしてしまう感情を無くすことが目的だ。

世の中から路上喫煙が無くなることを願うが、そんなことはないだろう。そんな世の中で、いちいちイライラしてしまって自分の人生にマイナスの影響を与えないようにするべきだろう。

であれば、結局は自分の物差しで人におしつけているんだろうと思った。

そして、人は、自分の意見と自分を同一視する傾向にあるらしい。だから自分の意見が否定されるとそれは自分自身を否定されると考えて強い拒否反応がでてしまい、怒りや悲しみの感情が湧いてくる。

メンヘラ行為をしないためにすべきこと

ではどうすれば良いのか。管理可能なことに目を向けることだ。

管理可能なことは自分の行動と自分の思考だ。

ここでメンヘラ行為の分解をもう一度持ってくる。

①まず、自分の中の物差しがある。
(これは今までの人生の中で、人それぞれにできあがっているもの)

②その物差しを他人に当てはめる

③その評価基準を他人に押し付けるということである。

対処療法としての対応策

対処療法として考えられるのが、

③の他人に押し付けことをしない⇒他人に言わないということである。

①、②は自分の思考の中の話であり、③で他人に言うなりして表現しなければ、押し付けることにはならず、争いにはならないだろう。

「言わない」「押し付けない」という自分の管理可能なことでコントロールするということだ。

ただこれはあくまで対処療法であり、結局自分の中に溜め込むことにかわりはなく、いつか爆発してしまうだろう。

とくに、会社の嫌な上司レベルで、距離がそこまで近くない人にならこれでなんとかなるかもしれない。

しかし、彼女、また結婚を意識して将来奥さんになる人と考えると、ずっと我慢することはできないと考えられる。

根本的対応策

根本的に治療としては、自分のものさし(考え方)を持っていることを認識する。

そして、いつでも捨てることができる、すなわちいつでも考え方をアップデートできる、こだわらないという考え方だ。

すべて自分の中でこうすべきというルールがある。同じように他人にもルールがある。だからいくらカップルであっても、考え方を押し付けあうべきではない。自分の考え方を自覚し、彼女の考え方も理解する。その上で、自分の考え方がおかしいなと思うなら、ためらうことなく捨ててしまって、アップデートする。自分の意見にこだわらないということだ。

これは自分の意見=自分という認識を持っているとなかなか難しいことだと思うが、あくまで、自分の意見はこれまで生きてきた中で、できてしまった考え方の一つであって、自分のアイデンティティではないことを理解して捨ててしまうことが大切だ

いい意味でどうでもいいと思って捨ててしまう。それが大切なんだろうと思う。

終わりに

このブログ記事を書いた時点では、なんとか振られずに済んでいる。

なかなかすぐにはできなかったが、すこしずつ自分の考え方を捨てることができているのかもしれない。

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